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1-10


 ティーフェンは森を見上げた。枝葉の間に、ほとんど空は覗かない。
 この森より南側では、ほとんど雨が降らない地方になる。この森はちょうど境目のような場所だった。森の中もいつも雨が降っているようなことはないけれど、それでも地面や草の表面に水滴が見える。肌をひやりとさす冷気が不安を誘い、ティーフェンは思わず杖を握りしめる。目を伏せてため息をついた。
 その時、後ろでざわりと枝が揺れた。驚いて振り返ると、セラヴィスが立っていた。青とも緑ともつかない瞳がこちらを見ている。「やはり、ここに」そう言って、ふっと溜飲を下げたようだった。
「行きましょう、二人には先に行くと言ってきたから。兵士が来るといけない」
 ティーフェンは、なぜセラヴィスという人はあれもこれも見透かしてしまうのだろう、とつくづく思う。この人は、どこまで自分のことを知っているのか。隠そうとしていることを、すべてわかっているのではないかと錯覚する。視線を落として呟いた。
「……彼らは私を守る理由を持っていません。それに、元々こんなところにはいないと思っているでしょう。私はこんな場所に興味もないような素振りでいましたから。……きっと兵士は来ません」
 セラヴィスは「そう」と呟く。その言葉がそれまでと同じ調子だったから、ティーフェンはちょっと微笑んだ。
「二人を待ちましょう」
 そう言うとそれ以上話が続かず、森は風が抜ける音のみがただ響く。しばらくその音に耳を傾けた後、ティーフェンは言った。
「私は彼らに、素性も目的も言いませんでした。素性に関しては、自分でも何といっていいのかわかっていないというのもあるけれど。それに私を旅に出してくれた人が、そうさせたかったようでした」
 セラヴィスがふと顔を向けた。
「それは誰のことか聞いても良い?」
「え? ……ごめんなさい、あまり私は知らない人なの。私の身内の知り合いで、多分お医者様なのかしら。姿も直接見たことがないくらいで」
 返事はない。隣を見ると、何かを考えているように見えた。ティーフェンはその姿をじっと捉える。それから杖を握りしめた。そうしているうちに森の入口の方からやってくる見知った二人の人影を目に認め、ティーフェンはそっと笑みを浮かべる。
 少し前までは不安ばかりだった「追われる」ことに、はじめて安堵というのを感じた。

 歩いているとあっという間に日が暮れた。闇に浮かぶ焚火が目の前でゆらゆらと揺れる。湿った枝に少々乱暴に魔法で火をつけたため時々大きく爆ぜては火の粉を飛ばしている。グランはただそれを見つめていた。
 ――あの時と同じ紅色は何故、この心を乱さないのだろう。
 篝火に過ぎないからかもしれない。でもこうして十分にあの記憶を思い起こさせる色を見つめているのに、今は静かに心が凪いでいることが自分でも不思議でたまらなかった。炎を見つめるのは、あの時の情景と向き合っているかのようだった。でも、頭痛はしない。
 不意に焚火ごしに、ティーフェンが言った。「グラン」
 顔を上げると目が合った。火に照らされて、その目の色がよく見える。
「それからレカードも。今朝はごめんなさい……勝手にいなくなったことも、兵について隠していたことも」
 レカードが横に首を振った。グランもそれに倣う。
「追われてた理由は教えてくれるの?」
 レカードが問い、ティーフェンは曖昧に笑った。
「私が旅に出るとき、ひとりでは出してくれなかった。だから護衛にと兵士がついて、だけどそれは私を旅立たせた人の望みではなかったようなの」
 ぱちん。ティーフェンの声に、火の爆ぜる音が混ざる。
「機を窺えば逃れることができるから、そうするようにと言われて。だから隙をついて逃れたのだけれど、申し訳なかったかもしれないわ。私は、素性を知らない彼らはすぐに諦めると思っていたのだけど」
「……貴族とか、そういうの?」
 レカードがためらいがちに訊いた。ティーフェンが少し俯く。
「わたしは……自分が何者であれ、いずれも自信を持って言うことが出来ないの。仮に私の以前の生活が貴族のようであったとしても、私は自分が貴族だと確証を持てない。兵たちが私のことを何と聞いていたのかも、私にはわからない」
 できることであれば、私がその答えを持たずとも許してほしい。
 ティーフェンはそんな風に言いたいようだった。
「ただ一つ言えるのは、旅の目的だけ。私はパニティレイムまで行き、この杖を届けるために旅に出たの」
「何だって?」
 二人そろって目を丸くした。グランが思わず聞き返す。「パニティレイムって、シャタルより先じゃないか」
 ティーフェンが頷いて、申し訳なさそうにした。
 以前どこまで行くのか聞いた時には曖昧に返すのみだったのに、行き先も目的も決まっていたなんて。グランはただ驚くばかりだった。
「杖って?」
「パニティレイムに関係のあるものなのではないかしら。何の為のものなのかは、私はあまり……」
 そう言ってセラヴィスの方を見る。セラヴィスは首を横に振った。
「ただ、その杖には魔法を示す紋章が描かれている。持っていけばきっと何かわかるわ」
「パニティレイムか……」
 レカードが復唱した。
「……僕はセラヴィスに初めて会ったとき、パニティレイムに来てほしいって誘われた」
 グランとティーフェンがレカードを見る。少年の瞳は炎ごしにどこか遠くを見ているかのようだった。
「特に今も行こうって思ってるわけじゃないけど、あの時は理由も聞かなかったから。セラヴィスは、どうしてあんなことを言ったの?」
 セラヴィスは表情を変えなかった。
「あなたを連れて帰るように、言われていたから。それより」
 一瞬の間の後、言葉をつなぐ。
「シャタルの事故は、また起きるかもしれない」
 レカードが目の色を変えた。
「なぜ!」
「もしくは、半年前の事故に私が関わっていた可能性がある」
「どういう意味なの?」
 ティーフェンが驚きを隠せない声色で言った。セラヴィスは言葉を選んでいるようで、しばらく間を置いてから言った。
「魔力が影響を与えて、事故は起きたのかもしれない。そうであれば同じことがまた起こるわ」
 セラヴィスが何故かグランの方を見ていた。グランはただ戸惑うばかりだった。



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