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2-12


 砂嵐に守られながら魔啓を擁する塔の輪郭が、明瞭になりはじめた。
「近づいてきましたね」
 リタリダが言いながら、レカードに視線を向ける。
「レカード。既に噎せるようなキアを感じているのでしょう?」
「うん」
 レカードの、眼鏡の奥の目が緊張を帯びていた。
「びっくりしてる。魔導師が困るくらいのキア、こういうことなんだ……」
 グランに感じ取れぬものを睨む紅い瞳には、紅い景色が映っているのかもしれない。
 片やグランは、ここまで何も影響がないとはと苦笑したい気分だった。へびに対峙した時のような気分の昂揚もなかった。
「ティーフェンは大丈夫?」
 レカードが塔から視線を外し、ティーフェンを見やる。
「ええ、……いえ、少し苦しいかもしれないわ。なんだか……息苦しい」
「大丈夫か」
 グランも一息遅れて同じ言葉を言う。表情は気丈だが、気力にあふれているようにも見えない。
 レカードはティーフェンをまじまじと見つめ、口を開いた。
「ティーフェンは、キアが苦手なのかもしれないね」
「え?」
「最初に会った時も不思議だったんだよね。確かにキアは意識を奪うことがあるけど、あの建物の中のキアは静かだった。倒れることはないと思ってたんだ、だからびっくりしたよ」
「そうなの……」
 ティーフェンの疑問か嘆きかわからない返答に、レカードは真面目な表情で頷く。
「シャタルに入った時みたいに、ここで待っててもらった方が良いかも」
 ティーフェンに近寄り、リタリダが肯首した。「わたしもティーフェンとここにいます」
 レカードがもう一度頷いてから、今度はグランに目配せする。
 その意味するところは、言葉を待つまでも無かった。頷きと共に、いつかはレカードが言った台詞を今度はグランが口にした。
「行こう」

***

 石造りの古めかしい塔に一歩入ると、かつんと靴音が響く。
 ワープの紋章が刻まれた床には、何に使うのかわからない道具が無秩序に散らばっている。
「水の魔力だ……」レカードの紅い瞳に、透けた明かりが映りこむ。砦で見たものと同じほのかな光のかたまりが、僅かながら空間に浮かんでいた。だが満ち引きのような柔らかな膜の揺らぎは無く、硬質にこごって見えた。「少し様子が違うね」
 グランも頷いた。触ってはいけないんだったな、と思い出しながら。問いかけで返事をする。
「シャタルみたいな石を探せばいいのか?」
 レカードはうなった。
「うーん。わかんない、そうだと良いんだけど」一通り周囲を眺めた後、階段に目を据えて言う。「上……かなあ」
 円柱状の壁に沿って階段が配されていた。
「グラン、先に上がってよ」
 困ったような表情をして、でもいつも通りのような口調で。レカードはグランの背中を押した。

 息を詰めながら、一段ずつ足を踏み出した。
 レカードは同じリズムで足を動かしているのか、足音が追従しない。それが奇妙に落ち着かなかった。ほの暗い空間に、何か音さえ奪うものが潜んでいるような心地だった。
 ――そうだ、それがキアってやつなんだ。グランは半ば自棄のような気持ちで、そう自分なりにキアを捉えてみたりした。
 階段を上りきると、決して広いとは言い難い空間の中央に、人影が見えた。
 グランは思わず、声にならぬ声で小さく驚きを漏らす。吐いた息だけが、キアにまみれているであろう空間にわずかに侵食する。その想像さえ煩わしかった。石段に多少は響いていた音で、先客はこちらに気付いているはずだと考えたからだ。
 後ろのレカードが背中にくっついて、空間の先を覗いている。
 グランは、剣に手をかけることしか出来なかった。
 ゆらりと人影が動く。どうやら後ろ姿だったものが、こちらに向きを直したようだった。何事かを言いながら。
「ユエレ、少し落ち着い……」
 人影は途中で言葉を止めた。
「く、」
 グランは人影と目があった気がして、何と振る舞えば良いかわからなかった。再び、声とは呼べない呻きが少し音となっただけだった。
「――まさか」
 色合いの変わった声が、硬く呟くのが聞こえた。そしてそれさえ跳ね返して、グランの背中から声が飛ぶ。
「キメリア!」
「え」
 レカードはグランにしがみついたままだった。だが背中から顔を突き出して、まっすぐに人影を見ていた。やがて人影も、レカードを見た。レカードは言葉をつなぐ。
「ほんとにキメリア……そうだよね、うそじゃないの?」
「知り合いなのか? こんなところで」
「そうだよ」
 眉を下げきって、力の抜けた返事をよこす。そうだよ、とかみしめるように、もう一度細く言い直した。息を整えるように大きく吸って、音とともに出す。
「グラン、このひとはね」
「レカード」
 静かな声で言い止して、人影がゆらりと動く。わずかな採光部から落ちる光が、ところどころ床を照らしている。そこに人影が一歩踏み入って、ようやくグランは人影と表現する他なかったその姿をいくらか鮮明に捉えることが出来た。
 清冽な水を思わせる長い髪を後ろに揺らす青年であった。旅人よりも村人に見えるような軽装で剣も帯びていない。薄手のはおりにふわりと包まれてしまうような線の細ささえあった。
 だが心の内を宿したかのように、声は変わらず硬質だ。
 グランは緊張を自覚した。剣から手を離せず、一歩も動けなかったからだ。
 青年が言葉をつなげる。
「無事で、良かった。でもこの再会はあまりに特異だ」
 さらに一歩踏み込んで、瞳が鋭くグランを見据えたのを感じた。
「まさか、こんなやつと一緒にね」
 その言葉には、明確に怒りが込められていた。
 言葉が刃のような力を持っていた。ささやきのようでありながら、深く侵食された感覚を生み出す。青年には常人にはない「何か」が宿っているかのようであった。
「グランを、知っているの」
 レカードがこぼすと、その言葉を拾うかのように、青年もグランの名を呟いた。
「名を知るのははじめてだ。でも知っているよ。レカード、彼のことを教えてあげる」
 瞳に光が射す。紅い瞳だった。
「彼は故郷を壊滅させた」
 言葉は闇と静けさの中に浮かび上がるかのようだった。変わらぬささやきが、グランには侮蔑として感じられた。
「故郷を、壊滅?」
 レカードが反芻する。
「そう。皆殺しにした、……そうだろ?」
「違う」
 グランは反射的に言葉を返した。さながら剣を弾き返すかのように。
 青年ははっきりと眉をしかめる。
「よくそんなことが言える」
「違う。本当に違う」
 ただ繰り返すことがグランの出来るすべてであった。剣で返すに代わって言葉など番えるのは不得手なことだと、ひたすらわかりきっていた。
 グランは何度か同じ言葉を繰り返して、それさえ枯れれば俯いた。頭の中に、ごちゃごちゃとしたものが占めていた。青年の指摘した故郷の出来事や、己の不器用さ。それらが足をすくませ、喉を乾かす。たまらない気持ちだった。
 そのように固まったグランに、青年が言葉と共にため息を落としかける。「――アルが浮かばれない」だが言いかけたその時に、階下から風が吹いて言葉を奪った。
 レカードの帽子が揺れ、グランのバンダナもなびく。
「この風」
 紅い目の二人は、同じ何かを感じ取ったようだった。
「来た。でもこんな時に」
 青年の瞳がグランから外れ、別のものを捉えた。するりと傍を抜けるとそのまま下っていく。レカードが「待って」と駆け足で追いかけた。青年は途中でグランに一瞥をよこし、軽く叫んだ。
「きみは来るな!」
 飛んでくる言葉が金縛りを解く、その感覚は以前もあった。よく覚えていた。レカードに初めて会った時だ。鮮やかで力強い、意思を持つ言葉がグランの頭のごちゃごちゃを吹き飛ばす。それは言葉の力だった。グランがおよそ上手く扱いえぬ、力だった。
 その力に誘われるように、グランは二人の後を追って階段を駆け下りた。



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