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2-13


 駆け降りると、様子は先程と全く変わっていた。風が荒々しく舞い、もともと雑然としていた魔法の道具は壁際に追いやられている。水の魔法も撹拌され、ばらばらにちぎれて小さな泡が飛び回っているように見えた。
 風の中心、ワープの魔方陣の上には、魔法の光に浮かび上がる影がある。その影だけが明るく染め抜かれていて、姿がよく見えた。はっと目を奪われた時、明確に目があった。
 女性の姿だった。驚きに一瞬目を丸くして、すぐに表情を変えた。
 その表情に、グランの背は冷えた。
 自分は知らぬ何事かの因果が、だが確かにその女性と絡み付いていることを知らせる表情だった。それがわかってしまって、恐ろしかったのだった。
「むごいことをするのね、キメリア」
 女性の視線がグランから外れ、先程の青年に向いた。吹き荒れる風の中でも、声は耳に張り付いて来るかのように明確に捉えられた。
 青年がグランを一瞥し、「来るなと言ったのに」という顔をする。苛立ちと言うよりも、もっと苛烈で必死な表情に見えた。すぐ視線を戻して、女性に向けて口を開く。
「ユエレ、違う」
「あなたはわたしの味方ではないとわかっていたわ。……やっぱり、そうなのね」
「ユエレ!」
「あなたが裏切るなら」細められた瞳が、怪しい闇を垣間見せた。「わたしもあなたを裏切るわ」
 足元の魔方陣が一層光りはじめ、女性の姿がふわりと浮き上がる。グランの少し前にいるレカードがびくりと身構えたと同時に、女性は手を掲げて大きく振り、そこから何か波動のようなものを放った。
 グランも一瞬遅れて、身をかばう。
 何も起こらなかった。
 女性に視線を戻すと、姿が消えかけている。もう一度視線が交わった。その瞳は血濡れの紅。なぜか、驚かなかった。
「気をつけると良いわ。わたしはあなたが憎くてたまらない、殺したいほどに」
 言葉を引き取るようにワープの魔法が動き、女性の姿は消え去った。
 交わった目の色は泣き腫らした紅にも見えて、グランはひるんで立ち尽くした。
 憎しみにあてられたのではなく、自分が何か彼女に酷い仕打ちをしたのではという錯覚に陥って、ひるんだのだった。

 ユエレと呼ばれた女性が去って、空間は静けさを取り戻した。だが泡となった水の魔力や壊れた魔法の道具が目に入る。何事もなかったのだとは、到底思えなかった。
「しまったな」と、青年――キメリアが苦虫を噛み潰したような表情で辺りを見回そうとする。そこへレカードが、耐えかねたように声を張る。
「キメリア! あの……」
 言葉の続きを見つけられず、戸惑いを表情に浮かべる。キメリアはレカードを一瞥したが、言葉を口にしなかった。
 その沈黙をグランはただ見ていたが、キメリアはそれを許さなかった。
「レカード、僕は彼を問い質さないわけにはいかない」
 キメリアの紅い目が、不審を宿してグランを見る。
「やはりきみが何もしていないとは思えない」
 対してレカードの紅い目は、おろおろと不安げになる。
 キメリアの目は冷たかったが、思わずこちらがぎくりと狼狽するような――先ほどの女性のような――恐ろしさはなかった。だからグランはとにかく返答を考えてみる。
「とにかく、……誰も殺していない、俺は」
 口をついたのは、一人でさまよっている時に自分自身によく言い聞かせていた言葉だった。ただ事実を反芻するだけの言葉だ。ティーフェンが「つらいこと」と名を与えて、はじめて気持ちとして出来事を捉えた。
 ――そうだ、だからいつかは彼女に話すと決めたのだ。うまく事実を話せなくても、ティーフェンは気持ちを汲んでくれるから。
 ティーフェンには「いつか誰かに話そうと思っていた」と告げたけれど、正しい言葉ではなかった。自分でも気づいていなかったが、本当は彼女に話そうと決めていた。
 彼女が心情に名を与え、自分は語るべき名を手に入れた。
 だからもう。
 グランは不思議に気持ちが落ち着いて、キメリアに「わかった」と言葉を返す。
「話せる限り話す。けど……あんたにじゃなくて、もともと別の連れに話すと決めてた」
 だから外へ出よう、とグランは出口へ向かう。
 キメリアが無言で後を追おうとすると、レカードが服の裾を引っ張った。「キメリア、グランは」続く言葉はなく、ただ服を握る手の力を緩めなかった。
「……今は何も弁明できない」
 キメリアは硬い声色で口にすると、レカードを外へ促した。

 外の風はざらざらと乾いている。だが塔の息苦しいような湿り気は、服の上を滑るだけの風では拭えなかった。
 ティーフェンとリタリダはグランを出迎え、続いて現れたキメリアの姿に目を丸くした。
「あの、この方は?」
「ええと、わからない。けど」
 リタリダに返事にならぬ返事をして、ティーフェンの目を見る。
「自分の話をしろと言われた。その、つらいこと、についてと……」
 訥々とした言葉から、ティーフェンはグランの言おうとしたことを正確に察した。
「そう。……わたしにも聞かせてくれるのね。ありがとう」
 少し微笑んで、「大丈夫よ」と付け足した。
 伝えたいことは、気持ちは、伝わるから。
 グランはそう言われたような気がして、そうであると信じることにした。
 体がじめじめとしているのは塔にいたからではなく、緊張し、汗をかいているからだった。
 キメリアの視線に射抜かれながら、故郷を思い返し、言葉を探す。
 久しく眼を向けた記憶の底では、青い瞳が昏く嗤っている。



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