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2-15


 転がり落ちるように塔から脱して、視線を翻す。塔の外観に変化は感じられなかった。
 なんで三度も見上げないとならないんだ。
 憎々しいため息が出たところに、リタリダが訝しげな視線を向ける。
「大丈夫ですか。異変があったように感じたけど……」
 魔道士は何事かを感知していた。レカードは苦しそうに胸に手を当てているので、グランが答えた。
「水の実験をした時と同じものが現れた」
「まさか。そんな……」
 リタリダが顔をゆがめる。驚きよりも苦渋が勝っている表情だった。
 レカードが緩慢とした動作で顔をあげ、とぎれとぎれに口を動かした。
「前見たときは、あれのことキアだと思ってたけど……。さっき見たら少し、ちがう気がした」傍らのキメリアに紅い瞳を向ける。「キメリア、お願い……あれのことを教えて」
 気丈に見据えるが、レカードの様子は頽れかねない危うさを抱えたままだ。
 キメリアは塔にいた時と変わらず、それを深く注視していた。レカードの問いよりも、そちらに意識を向けていた。
「そうだね。……きみたちがあれを見たことがあったとは驚きだ」
 キメリアはグランに一瞥をよこす。尖った視線はグランの動作を縫いとめた。
「あれは、『なれのはて』と呼ばれてる。キアと魔力が混ざり合ったものだ」
 苦虫を噛み潰したような表情でキメリアは続けた。
「キアと魔力は混ざってはならないし、まずそうはならないようになっている。……ユエレが細工をして帰ったようだ」
 塔の中でのユエレの挙措を回顧する。何も起きなかったように見えて、その実秩序を作り変えて去っていたのだ。
「帝国が魔道士を制御するのもそのためだ」
 キメリアがささめくように続ける。グランは妙なる装飾を身に着けていたセラヴィスを脳裏に見た。魔法を使っていたことには、矛盾を覚えたが。
「なれのはてとは、何が起こるものなのですか。わたしはつい先日それを見たとき、胸に言いようのない恐ろしさが迫るのを感じました」
「それは確かだ。きみはまず触れるべきではないだろう」
 キメリアはリタリダの問いを軽くいなすにとどめた。視線もちらとよこしただけで、またすぐにレカードに戻す。
 リタリダは暫時思案した。
「……手間ですが、一度砦へ戻りませんか。この重苦しい気配が、魔力に影響を与えていないわけがありません」
 砦が心配で、と消え入るように付け足した。
 かくして三度目の邂逅に別れを告げ、砦への帰路を急ぐこととなる。
 重苦しい気配、とリタリダが称したものからの敗走が、確かに胸を塞ぐようだった。

 砦へと戻ったころには、砂漠を燃やし尽くしていた太陽も砂の向こうへと沈んでいた。
 砦を暗く包むのは、最初に訪れた時とは異なる宵闇だ。だが砦の中は、やはり水の魔力がほのかに明るく照らしている。
 冷えた気配が、されど静謐さを失ってざわついていた。
 水の魔力が震えているのであった。

 砦の奥には朽ちた玉座のような椅子がある。
 その座面に膝を乗せているらしい、セラヴィスの後ろ姿が見えた。セラヴィスは、何か玉座の上にあるものに跨るようにして、抱え込んでいるようだった。
 玉座の上にあるもの。人であれば「座っている人物」と言うべきであろう。遠目かつ暗がりであるということを除いても、そうは思えなかった。セラヴィスの陰となっているからでもあり、セラヴィスが魔法を帯びているからでもあった。
 炎が、セラヴィスを彼女が抱えているものごと、玉座を包んでいた。

「セラヴィス!」
 血相を変えてリタリダが駆け寄った。慌てて後ろへ続いて、セラヴィスが抱えていたものの正体を認めた。
 レイデスだ。
 抱きしめているというべき場面なのに、到底そうは思えなかった。レイデスは業火の中で項垂れ、この世のものではないかのように見えた。セラヴィスもリタリダに目もくれないまま、じっと抱きかかえていた。何かただならぬ気配が漂っていたのだった。
「セラヴィス、あなたまで命を削らないで……! お願い、やめて! セラヴィスっ!」
 ほとんど叫び声だ。後ろからしがみついて、力任せにレイデスから剥がそうとする。魔力による炎だからか、リタリダは燃えなかった。
 近づけず、ただ眺めるだけのグランが狼狽する中、リタリダに歩み寄る者がいた。
「すこし、離れて」
 微塵も動じることのない声でリタリダにささやく。
 隣に立って姿勢を正すと、衣擦れの音もなく手を掲げ、わずかに集中したのが見えた。
 一瞬目を開き、体を震わせた。
 すると目に見えぬ何かがセラヴィスに影響を与えたようだった。弾かれたがごとくセラヴィスの瞳が此岸を見つめ、リタリダに振り返る。
 炎が消えた。
「……キメリア、さん」
 リタリダが隣に立つ人物の名を呼び、苦し気に息を吐いた。リタリダの視線に導かれ、セラヴィスがゆっくりと玉座から立ち上がる。
「あなたは」
 キメリアの姿を認め、口にする。セラヴィスもどこかに痛みを覚えているかのように眉根を寄せていた。だが、誰何する声色ではなかった。
 玉座に残されたレイデスは、ぐったりと寄り掛かったまま瞑目していた。外見は何ら変わらなかったが、血の気が引き、金の目を覗かせない。椅子に繋縛されているがごとく痛々しかった。
「今のは……」ティーフェンが、恐る恐る口にした。
 リタリダが深く呼吸をしてから応じた。
「この国の均衡はとても危ういの」
 消沈した語り口に、悲しみを漂わせている。
「ここは、魔力の流れが集う場所です。だからここにレイデスの水の魔力をまとめ、国中に流している。それを続けられる限りは、安定するけれど……」
「レイデス」
 セラヴィスが呟いた。その視線の先で魔道士の国の王がわずかに呻吟し、目を開く。
「……セラヴィス」喉を守るように何度か空咳をした後、少し枯れた声でそう口にする。そしてあたりに目をやり、不意にキメリアと目が合う。わずかに見開いた。「なぜ、あなたが」王者はほとんど無意識にそう呟いていた。
 キメリアは沈黙を守っていた。
「気が付いたんですね。良かった……」
 リタリダの声が安堵の色を灯した。レイデスは安心させるように、少し口元に笑みを寄せる。苦笑に近いものだった。
「はっとするような目覚めだったよ。実際に体が動くまで、少し時間を食ったけれど」枯れ果てた玉座の上で姿勢を正した。
「説明の途中でしたね」少しほっとした様子を見せながらリタリダが向き直った。「少し前まで魔力のバランスは安定していました。それが、崩れた」
「安定?」
「キアと魔力のバランスの話だ」
 ティーフェンの反復に、レイデスが告げた。そこにかぶせるようにキメリアが口を開いた。
「檻が解けたからね」
 キメリアの瞳はグランを見ていた。
 おまえが外へ生まれてきたからだ、と言っているかのようだった。
「この地に遍く行き渡らせている魔力は、レイデスの命そのものとも言えます。魔力のバランスが崩れることは、レイデスの命をおびやかすこと。今まさに、そうなりかけていました。だからセラヴィスは、自分の魔力でレイデスを整えていたんです。私たちにとって魔力は、命のようなものです」
「今の世界の状態で魔力のバランスを保つことは難しい。このとおりさ、驚かせたね」王者の目は柔和で、確かに人らしい血が通っているものに見える。脆い均衡の上にあるとはにわかには思えない、しなやかさが感じられた。「…さて、つまりは塔で何かあったようだね」
「えっと。なれのはて、っていうものが生まれたって……」レカードがおずおずと説明をして、顔を上げる。「でも、王様にこんなに影響するなら、やっぱり放っておいちゃいけないよね」
 決意をわずか浮かべながらも、表情は翳っていた。そんなレカードと対照的に、レイデスは慈しむような形に相好を崩す。
「ありがたい申し出だ。……魔道士にとってあれは、万一のことが起こり得るものだ。あのままでは魔啓を読むにも安心できない」
 よろしく頼めるかい、と問う視線は、レカードと交わされたのちにはグランに向いた。
 グランもいまさら客人を装うつもりにはならなかった。
 自分に絡みついた因果の一つは、あの紅い物質だ。なれのはてという名を胸に刻み、切り捨てたときの情動を思い出す。
 激しい奔騰のようでいて、急激に冷えていく。そして、操られたかのようにままならぬ心身の変化に、惑うのだ。
 そうだ、と思い至る。因果を絡み付けているのは、たぶんグランの方だ。
 ユエレという女性には因果の糸を絡み付けられていたけれど、なれのはてというものに対してその糸を巻きつけているのはたぶん自分だ。
 糸をたぐって、見つめること。
 それが、シャタルの黄昏の中でティーフェンと話した「自分が何者か知る」ということだ。
 グランも表情を引き締めて、頷くように顎を引いた。
「リタリダ」ふいにセラヴィスが呼びかける。「オアシスから来た民があなたを呼んでいた」
 妹は、姉の言葉に素直に驚いたようだった。次には惑う。
「リタリダ、行ってくれ。魔啓を読むのは、後で良いことだ」
 金の声が導いた。
「でも」とリタリダは逡巡する。
「セラヴィス、ワープで皆を送るんだ。いいね」
 念を押すような声色で、今度はセラヴィスに告げた。セラヴィスは無言だったが、その沈黙にわずかに陰ったものを見た。
「……レイデス、ひとりでお過ごしになるんですか」
 リタリダは、恐らくセラヴィスと似た陰りであろうものを隠さなかった。心配であり非難でさえあった。業火の中で項垂れる、まるでひとならぬ姿。その鮮烈な衝撃はこの魔道士の姉妹だけではなく、グランの中にも火傷のように残っている。
「大丈夫だ、打つべき手を打つためなのだから」
 レイデスは宥めるような言葉を選んだ。
 明朝に再び発つことを決め、休むようにと告げられる。レイデス自身にも消耗した色が見えた。かける言葉も魔法も持たないグランは、恭順の意を示すほかなかった。



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