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2-16


 レカード、ティーフェンとともに玉座を離れ、借りた部屋へと戻る。その途中、暗い廊下でレカードがぽつりと言った。
「キメリアはさっきキアを出したんだ」
 グランに語り掛けたのではなかった。
「キアは、扱えるんだ……何もなくても消せるし、出すことも……」
「レカード、調子はどう? 苦しそうに見えるわ、ずっと」
 譫言の様相すら感じさせる言行に、ティーフェンが水を向けた。
「大丈夫だよ、ましになってきてるから。今は苦しいけど必要なことなんだって、キメリアが言ってたから……」
 どこか判然としない言葉を返して、レカードは紅い目を伏せた。休むね、と付け足して、するりと己の閨へ去る。
 レカードの冴えない表情を何と名状すればよいかわからず、グランは「俺たちも休まないと」とうやむやな言葉を口にした。対してティーフェンは、大切なことを聞いたように生真面目な様子で言葉を返した。
「グラン。昼間は……ありがとう。大切なことを聞かせてもらって」
 何のことかすぐに思い至ったが、返す言葉は同時には浮かばない。
「私は、あなたのことを知れて良かった、と思ったわ。あなたは、あなたが伝えたいと思っていたこと、ちゃんと話せたと思えてるの?」
「ああ」
 かと思えば、頷く言葉は意図せずともするりと漏れた。
「それなら良かったわ」
 柔らかに笑う。控えめな声が耳朶を打ち、心地よかった。
「……自分でも不思議な気分だ。ふとした時、心の底にあの死体が転がっていた。それが、ちゃんと無くなったというか」
「語ることは力を持つわよね。今回であれば、とむらいかしら?」
 弔い、それは確かだった。暗いあの海の瞳があるべき場所へ還るようにと、まるでティーフェンが視線を、手を添えたように感じたのだった。
 同時に、語ることのかなわぬ孤独にも、強烈な磁力が付きまとっていることを空恐ろしく実感する。
「ティーフェン、俺は、自分を知ることができる……ところに近づいている気がする」
 グランの訥弁の衷心を知悉しているかのように、ティーフェンは頷く。そのしぐさは、呼び水だった。さあらぬ瞬間に、グランは渇きのような切迫を伴った望みを自覚する。
「恐れをひとつ、捨てたんだ。たぶん、ティーフェンのおかげだ。だからその……どうすれば、ティーフェンの話が聞けるのか、気になってる」
 おまえのことが知りたい。
 悩ましげな響きの隠れた声に、ティーフェンは目を丸めた。そして、明らかに困惑の表情を浮かべる。
 しばしの沈黙が、疼きを持って肌に触れる。
「あのね」揺れた声が告げた。「肝心なことを、いつもうまく言えない。その……身分のことも、レイデス様にではなく直接あなたに言えたらと本当は思っていたのに。語ることの力をよく知っているつもりだし、それを大切にしたいとも思っているのに、どうしても……怖いからなの」
 ティーフェンの手が、軽くグランの手に触れた。
 柔らかで、湿っぽく冷えている。恐れの表れだった。
「何が怖いんだ?」
 ティーフェンは長く黙考する。グランは、つい焦れた。
「もしかして、俺か?」
「違うわ」その問いには間髪を入れずに答えた。さらに時間を経てから、顔を背け、ぽつりを言葉を落とした。「決めることや、晒すこと」
「決めて、口にしてしまえば、もう振り返ってはいけない、迷ってはいけない……そんな気持ちになってしまうの。私、レイデス様と話して確かに知ったことがあるわ。だけどそれをどう受け止めるのか、これからどうするのかを、言葉にするのが怖い」
 ティーフェンの懊悩に満ちた表情を、グランは初めて見たと感じた。
 言葉の形がどうあれ、その表情は本心であり、あるがままの彼女自身であった。
 それは一瞬だけ、扇情的でさえあった。
 だがその一瞬ののちには圧倒されるほどにティーフェンの実存を感じて、グランはむしろ落ち着いた。
「そうか」
 自分が妙な焦りを持っていたことを、凪いだ気持ちで受け止める。
「わかった、ありがとう」
 ティーフェンが頭を上げる。暗がりの中にも、柑子の光沢のある反射が見えた。
「きっとそれでいいんだ、それを聞けたことが……良かったんだ」
 グランは、本心からそう口にした。
 ティーフェンを閨に送った後、グランは急速に眠りに落ちた。その日見た夢は、安息を妨げず、焦りを煽ることもなかった。

 夜陰に包まれた玉座の前に、人影がぽつりと佇んでいた。
「さて、大仕事……か」
 誰に言うでもない声がわずかに吐息に混ざって音になる。手を掲げて見つめる。
 指の節がささくれている、という度を越えている。制御しきれない魔力が指先を侵食していることが、可視化されていた。
 尤も、今に始まったことではない。客人も一目見て気付いたようだった。それほどに、つまびらかなことなのだ。
 すると、予期しえぬ物音が後方からする。
 思わず振り返ると、まなかいにひやりとしたものが過った。「レイデス」そう明確な声が追い付いてきて、むしろわざと物音を立てたのかとレイデスは察した。
「あなたが、わざわざ話しかけにきてくださるとは思いませんでした」
 素直な気持ちを述懐する。
 くすりと、笑い声が返ってくる。
「だってさっき、万感を込めた顔をしていたからね。それはもう、わかりやすく」
 笑みを向けられるとは思わなくて、知らず張りつめていたものが少し緩んだ。
「……そう、でしたか?」
「そうだよ。さすがに無下にできないって、そんな気持ちにさせる顔だった」
 するりと隣に近づいて、「否定はできないでしょ」と付け足す。レイデスはうべなう。
「その通りです」
「久しぶり、レイデス」
「はい、とても」
 紅い目を間近で見るのは、本当に久々だった。過去にも、そう馴染んだものではない。この地を整えるほんの一瞬、袖をすり合わせた程度の邂逅だった。だが、その記憶は鮮明だ。
「魔啓なんて口実で、本当は、僕を探していたんじゃないの? まさか僕の子を連れていくなんてね」
 当の「子」を前には硬かった弁舌は、懐かしい記憶に違わないほどに和らいでいる。
「できれば、とは思っていました。でも、そればかり追ってもいられなかった」
「調子は?」
 短い言葉に、配慮が滲んでいる。
 それに、甘えることにした。
「あまり。だからこそ、あなたに別れを言い、今後のことを託したくて探しました。もうすぐきっと、魔力は均衡を欠く」
 自分を支え、愛してくれてもいるであろう者にさえもそうそう言えない致命的な言葉を、そのまま吐き出す。今後を託すなんてことを言って、それ以上に、ただこうやって弱音が吐きたかっただけではないか。そんな眩暈のするような心地に浸かりながら。
「……あの方がどうなることか」
「きみはよくやったと思う。身を削りながら、ユエレのことまで気にかけて、気の毒なほどに。僕もそれをただ伝えたかった。困った事態だけど、まあここへ来れたのは悪くなかったかな」
 温かい労いと、冷え切った後悔のような色がにじんでいる。
「……きみを助けられないことを、申し訳なく思ってる」
 レイデスはかぶりを振った。
「その気持ちに救われます」ありがとう、と自然に零れ落ちる。
 キメリアはその言葉を聞いたきり答えず、紅い目に悔いと嘆きを乗せたまま、溶暗するように姿を消した。
 レイデスは、今度こそと集中する。
 心は、晴れやかだった。



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