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  その剣士の姿を認めるまでずいぶん時間がかかった。青い光に幾重にも包まれていたからだ。光が消えたとき深い青の中から現れた、途方もない赤の青年。髪も服も、身にまとう空気そのものさえ飲み込んでしまうような業火の色だった。
 赤の中で青い双眸が深く煌めいている。鋭く激しく、あんなにちっぽけな小さなふたつの青色は、その業火さえ消してしまうような広大な海に見えた。
 鮮烈な輝きは、されど不思議とまどろみ、凪いでいた。
 周囲を眺めて青年は口元を歪めた。

「檻か」
 くつくつと笑う青年の前に立ちつくし、グランは言葉もなくその姿を見つめていた。海色の目の青年はやがてグランを見やると、薄い笑みのまま問いかける。
「おまえはここに幽閉されて、朽ちてゆくのか」
 それは明らかに侮蔑と憐みの声だった。
 グランは反駁の意に眉根を寄せる。抵抗の意味でもあった。全身をめぐる、海に呑まれるようなその感覚から逃れたかった。水底にいるような苦しさが押し寄せる。
 ふと青年はグランに近づいて、耳元で何事かささやく。それを聞いてグランの表情が落ちた。青年は距離を取り、今度は明瞭に言う。
「外へ行け、ここにあるすべてを犠牲にしてでも」
 そしてさっと笑みを消し、グランの目を捉えたのだった。目が合った瞬間にグランは、ああ溺れたと思った。水の中で死を覚悟するような、一種の絶望だった。
 グランの手からするりと剣を奪い、青年は走り出す。そしてすぐに悲鳴とも怒号ともつかない声が辺りを劈いた。聞き覚えのある声が、されど聴いたことのない声色で耳朶を打つ。声はこの世の終わりを告げる鐘の音のように響く。その音が消えたときには、辺りは一面紅かった。
 この世の紅さをグランは初めて知り、同時にふと思う。
 紅を教えた青年の青い目は、鏡であったかのように己のそれと似た色をしていた。

***

 ――こんな生き方で、それでもおまえは人間なのか?
 頭の中を貫いたひそかな声と、地獄になった故郷の景色。それらは外へと出てからもしばらくの間はずっと張り付いて、頭痛が止まなかった。人に会うたびに青年のせりふが蘇って、あの真意が掴めず同じことを訊きたくなって。
 あの言葉は、あの場所での生活に宛てて言ったことだったんだろうけれど。
 グランには人間という言葉だけが張り付いて、それが形を無くし、何だかわからなくなった。
 だから、その不確かさを体現するような人形じみたレカードに会った時には、その言葉だけが口をついていた。
 お前は人間なのか。
 されど、自分のこともレカードのことも今ならば、是と言える。

***

 徐々に日が陰る。さえぎるものがろくにない砂漠では、目を射す夕日は一段と眩しい。もともと黄色っぽい景色が、どこもかしこもオレンジを深くした。
 眩しさに目を眇めがちになりながら後ろを歩くグランがぼんやり見ていると、レカードがふいに揺らいだ。足を上手く踏み出せず、バランスを崩したように見えた。
 それを見て、シャタルでの出来事以来張り付いていたレカードへの慙愧の念と戸惑いが、つい一瞬飛んだ。
「レカード?」
「なに?」
 緩慢な動作で振り向いて短く言う。声も態度も疲労のようなものがにじんでいた。正面から見ると、やはり顔色が悪い。
「大丈夫か。……おまえふらふらしてるぞ」
 レカードは、ちょっと答えに詰まったようだった。そして少し考えてから言う。
「砂漠も、きついけど」
 グランが横に追いつくと、風が吹けばさらわれてしまうようなひっそりした声で続けた。
「シャタルで……ちょっと蹴られて」
「は?」
 目は合わさず、戸惑いながら声で言う。
「あいつだよ。シャタルにいた剣士」
 左目の隠れた剣士の姿が脳裏によみがえる。
「グランはおかしいと思わなかった?」グランが、何がと訊く前にレカードは言葉を続けていた。「あの時のシャタルで、あいつもキアに呑まれていなかったこと」
 レカードの声は潜めているのであろうということを抜きにしても小さく、余裕が無かった。思い詰めているような感じがした。
「……だから、ちょっと訊いたんだ。そしたらすごい顔して、蹴ってきた」
「大丈夫なのか、それ」
「痛いよ」
 覇気のない声が痛々しい。紅い目は遠くの砂嵐を力なく睨んでいる。
「……それに、なんでいけなかったのかわからない」
「レカード」
「けどそれより」ふいに目があった。「セラヴィスには言わないで、グラン」
「……なんでだ」
「だってセラヴィスは気付いてないんだよ。っていうか……セラヴィスの様子が変なのわかるでしょ?」
 グランは前を見る。
 ティーフェンと並んで前を歩くセラヴィスは、見た目には変わらない。だが、グランにはレカードの言う意味が伝わった。不自然に寂しい笑みを浮かべたセラヴィスに、妙に胸を衝かれたのは遠い昔の出来事なんかではない。
「無用な心配をかけたくないし」
 レカードも、セラヴィスを見ていた。
「セラヴィスが僕をこの国に連れてきたの、きっと、キアのことだよ。なのにセラヴィスを頼ってたら、僕は何をしに来てるの。おなか蹴られてまで」
 レカードが口の端だけで力無く笑う。弱々しい皮肉な笑みだった。
 しかしそこになけなしの意地が見え隠れしていて、それは強さでもあるように見えた。グランはそれを共有するように息を大きく吸い、吐く。
「わかったよ……無理するなよ」
「大丈夫。あれでしょ、オアシスって」
 見やった方向に、まだ遠いものの何となく一部分だけ木々の塊があるように見えた。寂寥な砂漠の中であまりに小さく頼りないが、水と憩いがあることは明白だった。
 内心ほっとしたグランの横でレカードがかすかに呟く。
「グランが気付くとは思わなかったなあ。見てたの、僕のこと」
 含んだ声ではない。しかしシャタルでの事を浮かべずにはいられず、グランは返答に詰まった。シャタルを出立して以来、まともに言葉も交わしていなかったことに気づく。当然、目を合わせたことも。
「石の事なら気にしなくていいから」
 レカードはそれだけ言うので精一杯らしかった。恐れていた叱責でないことにグランは安堵しつつも、額面通りには受け取れなかった。気にしていないなんてことはない。何らかの思いを胸に秘めているということは、レカードの様子を見れば明らかだった。
 心の中でだけため息をつく。気を遣われているなんて、レカードにふさわしくないことをさせている自分に対して。しかも今のレカードはけが人なのだ。
 胸にたまりそうになる澱を掃うように、あとは沈む夕日に急き立てられてひたすらに歩くしかなかった。



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