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2-3


 オアシスとは一面の夜帳の中で、さながらちっぽけな水鏡であった。外から見たときのその小ささに反して、いざ目の前に広がる存在は力強いものだった。
 周囲をすべて砂丘に囲まれても確かな水を湛えて脅かされない、乏しい月明かりのなかでさえ水面は輝き、風に揺れては波紋を静かに作る。
 無論その大きさは、砂漠歩きで疲れていた胸に沁みるからというだけのこと、かもしれないけれど。

 水辺に座り込んで感慨を刻む三人の背に、セラヴィスが声をかけた。
「ここで待っていて」
 セラヴィスが立ち去って暫く経っても、三人の誰からも言葉は出ない。いよいよ水の寄せる音さえ疎らな静けさだけが辺りに満ちて、しかしそれは心地よかった。
 言葉にしなくとも、砂漠を歩いた後の水は生命そのものだった。グランは水を前にして、道程がいかに味気なく乾いていたことを思い知った。オアシスに立ってみれば砂漠とは、ほとんど死んでいるような場所だった。
 ほどなくして後ろに足音が戻って、振り返る。
「まあ」
 セラヴィスの隣に女性が立っていた。旅人の姿を認め、驚嘆を零す。
「ひとりだけかと思っていました。三人もいるのですか?」
「そうよ」
 女性の質問に一言返してセラヴィスは、ティーフェンに手元の杖を見せるように促した。ティーフェンは一瞬息をひそめてから、おずおずと女性に見せる。
「それは……」杖を見て女性の目の色が変わった。「……その紋章! 見せてくださいっ!」
 受け取ると、驚いた表情のままじっと見つめる。闇に目を凝らして眉を寄せる表情は、先ほどの驚嘆とは別の、もっと迫るような驚きがにじんでいた。
 杖に釘付けの謎の女性を、グランは何とは無しに観察する。年頃や背丈はティーフェンと同じくらいで、少女と言う方が近そうだった。ただセラヴィス同様の顔立ちと服飾は、たぶん魔導師の――パニティレイムという国の人間の――それなのだろう。
 ティーフェンとは異なる雰囲気があり、しかしセラヴィスとも違う。髪は銀ではなく茶に近い。うねって背中に流れることもなく、肩のあたりまでの真っ直ぐな髪だった。髪だけ見ればティーフェンの方が近い。
 少女は張りつめていたような息をひとつ、細く吐く。
「……すみません、いきなり奪ってしまって、無礼なことを」
 脱力したような声だった。ティーフェンが小さく首を振って杖を受け取る。そんな二人の少女の様子をただ見ていたレカードが訪ねた。
「セラヴィス……僕を連れてこいって言ったの、この人?」
「いいえ」
 セラヴィスはかぶりを振る。少女が急いで言葉を引き取った。
「ごめんなさい、名乗りもせずに。私はリタリダと申します」
 異邦人を三人見回してから、言葉を継ぐ。
「自己紹介として適切なのかわかりませんが……セラヴィスの妹です」
「ええっ!」
 レカードが声を出して驚いた隣で、音にこそならずとも、グランとティーフェンも同じように衝撃を受けた。リタリダと名乗った少女は特にそれを気にはせず、ほんの少しだが笑ってみせる。むしろその表情が、なおさら言葉の真実味を遠のかせた。
 三人の驚きにも何一つ反応を返さず無表情に佇み続ける女性が、愛想笑いの出来る妹を持っていたとは、とても信じられない。
「もう夜ですから、詳しいことは明日にしましょう」
 三人が呆気にとられている間にも、夜は更けるばかりだった。

***

 砂漠の焦がすような陽を視界の端に収める、些細な小屋で五人は円を作っていた。それぞれが改めて名乗った後、リタリダは切り出す。
「すぐにでもお連れしなければならないところを申し訳ないのですが、実は私はここで今日やりたいことがあるのです」
「あの、ちょっと待って。そもそもどこに行くのかとか何をしに行くのかとか、全然知らないんだけど」
 レカードが慌てて言葉を挟んで、リタリダは僅かに目を丸くする。
「セラヴィス、何も話さずに連れて来たのですか?」
 そう尋ねはするが、寡黙な姉に慣れているのか、特に呆れ返ったような音色もなかった。
「ではどこから話せば良いでしょうか……私たちがあなたを求めていたのは、この国の問題を解決する手立てとなるかもしれないからなのですが、あなたをお呼びしたのが誰なのかもご存じないのですよね?」
 レカードはこくり頷く。
「あなたを求めているのは私たちの王です」
 おうさま、とレカードが言葉を反芻しかけた隣で、より明瞭にティーフェンが言う。
「それは……パニティレイム王、レイデス様、ですか」
 やたらと空気を震わせる声だった。何らかの感慨が込められているような気がして、ティーフェンにはかの人の名前に何か思うところがあるのかもしれない、とグランは思う。
 ティーフェンと目を合わせると、一瞬の間をおいてリタリダは答えた。
「あなたたちはそう呼びます」
「王様が僕を呼んでいるの? じゃあセラヴィスは何者なの、王様の部下?」
 間髪を入れずに尋ねるレカードに、リタリダは向き直る。
「そうですね、何と言えばいいか。きっと行けばわかります」
 グランは傍に聞いて不可思議な返事だと思った。リタリダにとってはそういう他なかったのかも知れないが、答えではない。煮え切らないが口出しも出来なかったので、グランは別の話題を口にする。
「やりたいことというのは、時間がかかるのか」
「いえ、すぐに。魔法の実験です。それで……その杖を、お借りして良いですか」
 リタリダの言葉に、ティーフェンは少し戸惑ったようだった。「この杖は……」それきりに言いよどむティーフェンに、リタリダはうっすらと微笑むように語りかける。
「私たちの王に、届けるものなのですよね」
 ティーフェンは息を呑んでリタリダを見つめ、やがて不安や疲れのようなものを隠しきれないような様子で呟いた。
「ご存じなんですか」そして一瞬の間があって、更に小さく言う。「……でしたらきっと大丈夫なんですよね」
 グランはついていけなかった。ただ、ティーフェンの戸惑いを奪った微笑みが、何となく恐ろしく感じられた。



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