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2-8


「水の魔法に対峙した時あなたは右手で剣を使っていたわ。それを見て、あなたは本当に両手で剣が使えるのだと思ったの」
 ああ、だからあの時ティーフェンは、見なければと頑なに言ったのか。グランはそう合点しながら返す言葉を探し、己を育んだ地を回顧する。ついこの間まで頭にこびりついてはがれないと思っていたはずの景色が、今ではかすんで遠い。
「確かに両方の手と向きで使えるように教わった、けど」
 あの地は家柄など、かけらほども意味の無い場所だった。
 その言葉が喉元まで出てから、はっとする。
「グラン?」
「いや、一度だけ聞いたな。――血よりも確かな証だとか」
 その剣の扱いこそ――。
 己の師が、らしくもないことを言ったから。更には渋い顔をして言葉の続きを飲みこんだから。そんな師の姿があんまりに珍しくて覚えていた。
「だが俺の生きていたところは、家柄なんて無縁だ」
 記憶を確かめ、自分に言い聞かせるように、今度こそ言った。
 そう、思い返せば思い返すほど、血筋などではなく、鍛錬の積み重ねが生み出す技術だけが剣の拠り所だと、それを最もグランに教えたのが師だったのは確かだと実感する。世界の広さを知った後には、あんなに小さな場所。己の郷は国とか家とか、そんなものは概念さえないちっぽけな共同体だったということも、いまではとてもよくわかっている。
 だからこそ、心に澱のように苦しみが浮かび、消えなかった。
「……今考えればおかしいくらいに、なのかもしれない」
「グラン……」
 ティーフェンの視線に、グランはもどかしさを覚える。言葉を持たない自分に、もしくはあまりに不可思議すぎる記憶の場所に。
 いっそ心を読んでくれ。そうでなくては伝わるまい。
 そんな懇願が、胸に苦く広がりそうになる。
「あなたの……つらい記憶に触れることなのではないかと。思っていたのに、ごめんなさい」
 グランはかぶりを振った。心のどこかが追い立てられていた。
「違う。それはいいんだ。もう平気だ。ティーフェン、俺も思っていた」
「え? 何を……」
 言葉を形作る前、一瞬だけ息が止まる気分で、震えるような心地だった。
 感傷も一気に吐き出す。
「――あの場所がなんだったのか。どうして、今は外にいるのか」
 グラン、とティーフェンが再び呟いた。
「外に出て、俺はずいぶんと世の常識を知らないとわかり、ティーフェンやレカードに会って、なおさらそう思った。ティーフェンが地図を指したのを見た時は、俺の故郷は地図に無いと知った」
 訥々と言葉を探り、心を落ち着けるように努めて。言葉を滑らかに話すのは、至極難しかった。
「あの出来事のことをいつかは、誰かに話そうと思っていた。だが、言葉が見つからない。今でも」
 ティーフェンは、胸のあたりでぎゅっと剣を握りしめていた。その剣に手を伸ばす。グランの手に応じる瞬間わずかに躊躇い、ティーフェンは言った。
「急性に言葉を見つけるのはつらく苦しいわ。グラン……無理をしないで。あなたの言葉を聞きたいけれど」
 何をどう言葉にするか、ティーフェンも惑っているようだった。その姿に少し安心する。頷いて剣を手にすると、更にもう少し、心が穏やかになった。
「ティーフェンも大丈夫か」
 レイデスと何事かを話し、落ち着かなくて考えがそれると言った。言葉が探せなかったのは、そんなティーフェンが気がかりだったことも一因だった。
 ティーフェンの表情に、隠しきれない陰りが浮かぶ。
「自分が何者か、答えを得るためにここまで来たんだろう」
 ティーフェンは一瞬の間の後、笑い混じりに答えた。「そんな風に言ったわね」でも、と続ける。「あまりに……そう、予想していない内容だったから。私が求め、考えていたこととは外れていたというか……」
「そうなのか」
 眉根を寄せて力無く笑う。
 されど優しい微笑み。
「……私は、きっとあなたに話すわ。今すぐでなくとも。だからあなたがいつか、私に話してくれるのも待っているわ」
 彼女らしい表情だった。
 その表情はグランの心にわずか触れ、グランの胸をほのかに締めた。

***

 レカードが、困った顔をして呼びに来たのはグランが部屋に戻ってすぐだった。これからレイデスのところへ行くと告げ、小さく呟いた。
「なんか……怖くなって」
 心細そうな表情は、オアシスまでの道程で見た弱々しさや余裕の無さとどこか違った。恐れをほんの少し孕んでいたからだった。
 レカードが椅子に浅く腰掛けて、グランはベッドに座る。
「怖い?」
「だってよくよく考えたらさ、王様の頼みごとだよ? 何でこんなことになってんだろって、ふと思って」
 言葉に間があった。
「僕さ」視線が落ち、床ではなくどこか遠くを見る。「セラヴィスに会う直前まで、一緒に暮らしていた人がいたんだけど」
 グランが目を大きくするが、レカードは無反応だった。
「あの時の僕は、その人以外この世に誰が居ても居なくても変わらなかった」
「え」
 グランは素直に驚いた。そういえば以前、セラヴィスには会ったばかりだと聞いた時も似たように驚いたな、などと見当違いなことが頭をかすめた。
「困ることは何もなかったし、それが自然だったっていうか……だってその人はね」
 レカードの視線が、此岸に戻りグランに据えられる。紅い煌めきが、グランの青い瞳に混ざった。
「キアを扱う人だったから」
 抑揚の無い言葉の影に、紅い何かを持って生まれた孤独が張り付いているようだった。
 人懐こくても、言葉巧みで饒舌でも、レカードに言いようのない居心地の悪さを覚えるとき、いつも紅い目と頬の模様が心をざらりと撫でていた。己がそう感じるとき、同じものをレカードも感じていたのかもしれないと、グランはふと思う。
 言葉にするべきたくさんの事柄がグランの頭の中を駆け抜け、捕まえる前に消えた。切なさに寂しさ、愛しさ。いずれも、わずかも残らなかった。
 グランは困り果てて、ううん、と低く唸る。「えーと」
「ねえグラン、一緒に来て」
 グランの懊悩など吹き飛ばす言葉は、懇願ではなく断定だった。先ほどよりは強い口調が何かを隠す。
「へ」
「良いんだ今のは! 何となく言っただけ」
 それより、王様をあんまり待たせる方が怖いでしょ。
 レカードはそう明快に言うや否や立ち上がり、グランの腕を引っ張った。胸に、つかみ損ねた感情の、在りもしない残滓が重く溜まったままだった。



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