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1-6


 陽が丁度沈もうかという頃にたどり着いたアイシムは、南端に近いだけあって帝国や法の支配の緩い街だった。
 北側は石や土でそれなりに壁と呼べるものが作られているが、南側に近づくにつれて濃くなっていく木々が取って代わっていた。門があるのも北側だけだ。南側はいつのまにか森に飲み込まれていくかのように、街と森の境が存在しない。
 街の中は歌と踊りにあふれ、人々も自由気ままに過ごしている様子だった。宿を探す間に、陽気な口調で何度か歌わないか踊らないかと誘われた。レカードもさすがにその光景に少し辟易しているような気配を覗かせていた。
「夜も近いとやっぱり賑やかだね。兵士はいないのかな?」
 南下してたどり着く街と言ったらアイシムくらいしか無い。
「こんな街じゃ関係ないんじゃないか、兵士がいてもいなくても」
 グランが周りを見渡せば、目に映るのは機嫌が良さそうに語らう者ばかり。兵士がいるくらいで白けそうにもないように思えた。
「逆かもよ。ここは帝都から離れてるし、兵士なんて居なそう。そんなところにいきなり現れたら、やっぱり気になるよ。多分」
 なるほどそれも道理に思えた。しかし、今のところそのような気配は見ていない。そのとき、前方が騒がしいのに気づいた。そしてすぐに、周囲は物騒な空気に包まれていることを思い知る。こんなにも急に空気が変わってしまう街なのかと驚いた。昼と夜があっという間に入れ替わるのと同じように、自由は無秩序と紙一重で、あっという間にひっくり返ってしまった。
 グランたちの目の前に屈強な男が現れた。酒の匂いが鼻についた。興奮しているのか目が炯々と輝いている。
「こりゃあ、偉そうに剣を帯びた野郎がこっちにも居るとはなあ。はん、気に食わねえなあ……人がせっかく片付けてきたと思ったのによ」
 レカードはそれを聞きながら、後ろのティーフェンをこっそりと一瞥した。陽は沈んでいるので見えにくかったが、あまり顔色が良いようには見えなかった。それを認めて、グランの肩を軽く叩いて言う。
「グラン、ご指名だね」
「……は!?」
 にっこりとほほ笑みながら。暗くてもよくわかる憎らしいほどに曇りのない笑みで、紅い瞳と同じくらいの印象を与えながら。
「グランも剣を持ってるんだからたまには暴れても良いんじゃない? 危なくなったら宿を見つけて逃げ込んじゃえば良いんだよ」
 じゃあ、よろしく。
 そう言い捨てたレカードは次の瞬間、ティーフェンの腕をつかむと焚火の光の当たらない暗がりの方へと走り出した。
 音を立てて、ティーフェンが手にしていた杖が落ち、二人の代わりにそれだけが残る。
「え、レカード! ちょっと……!」
 ティーフェンが驚いて声を上げたのが聞こえたが、すぐに二人の姿は見えなくなった。
 セラヴィスと二人取り残されたグランの前では酔っ払いの男の姿が、三人に増えていた。ふざけるなと叫ぶ間もなく顔面に拳が迫るのを見て、とっさに避けた。それを皮切りに一気に野次が飛び、辺りは完全に喧騒に包まれた。
 その一瞬で、忌々しい景色がまた頭の中に溢れ出た。紅い景色に心臓が跳ねた。
 ああ、やはり。おれは人など関わってはだめなのだ。鋭い瞳と剣先ばかり見えて、人の姿など正しく思い出せない。苦しみばかりが蘇って――。

 目の前にちらつく光景に耐えきれず膝をつきかけたとき、頭上を何か紅いものが飛んだ。
「うわっ!」
 小さな球状の炎、いわゆる火の玉だった。男の服を掠めて焦がした炎は、少し離れた場所の土の上で燻っている。後ろを振り返るとそこには先ほどと変わらずセラヴィスが立っている。
 ――魔導師、という言葉が脳裏に浮かんだ。それを聞いたのはいつだった? まだせいぜい数日前のことだ。
 忘れていたのか、それとも信じていなかったのか。どちらでも同じだった。目の前の光景を見た瞬間にグランは、魔導師というものを肯定したのだった。
「おかしな真似を……」
 男たちの眼には動揺が走っていた。今のうちに駄目押しすればこの場は収まるのではないかと思ったが、そう思うと頭痛が蘇る。右側に吊り下げた剣が、普段は意識さえしないはずなのに今に限ってはとても重かった。剣とは何のためのものなのか。酔っぱらいの反感を買うため? それとも。
「グラン」
 今は片目しか覗けない魔導師が言う。「したくないことはしなくてもいいわ」
 そういって胸の前にかざすその手に、先ほどと同じ小さな炎が宿る。
 抑揚のない物言いに、慈悲とも憐みともつかない響きを感じた。同時に疑問が浮かぶ。その火の玉を放つのは「したいこと」なのか、と。
「なめやがって!」
 グランが動かない間に男が覇気を取り戻したのか、再び殴りかかろうとする。その眼を見て、体が勝手に動いた。振り下ろされる腕をなんとか避けて、左手で剣の柄を逆手に握る。そのまま思いっきり剣を抜くと、柄の先端が相手の鳩尾に食い込んだ。一瞬くぐもった声を聞いた。
 バランスを崩す男から逃れて立ち上がる。剣帯から鞘を外し右手に構えた。立っている二人の内の一人が息を呑んだ瞬間に、横腹を狙って鞘を振る。相手がよろめいたところに火の玉が現れて、男たちの足元に火をつけた。今度はすぐに燻り消える灯火ではなく、放っておけば燃え広がりそうな炎。周囲がいっそうあわただしくなり、はっと我に返ったグランは急いで剣を収めた。その腕を、セラヴィスが掴む。
「もう行きましょう」
 いつの間にか先ほどティーフェンが落としていった杖を片手にしていた。奥に向かって歩みだすセラヴィスを追いながら後ろを振り返ると炎は消されていた。男の声が聞こえる。ちくしょう、ここは剣なんかいらない街なのに――。
 一歩引いてみれば、騒ぎは些細なものだった。相変わらず街は歌と踊りに包まれている。グランは、その小さな騒ぎをひどく後悔した。



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