3.バイバイ


「レイ。わたしが手を振ると、レイは不思議な顔をする……どうして?」
 尋ねられた青年は、僅かに目を丸くした。
 レイが、サラに驚かされたのは一度や二度ではない。何といっても存在自体が不可思議な少女なのだ。おかしな力をその身いっぱいに湛えて、だけどきょとんとレイを見つめる視線は無邪気だ。
 しかし今サラが言ったことには本当に、驚いた。研究で得られる結果にも勝るほどに驚いたかもしれない。
「そう……かな」
「うん。見えるの。うまく言えないけど……わからない顔をする」
 サラの言葉は年より拙い。しぐさにも幼さがある。レイの表情を再現しようとして様々に顔のパーツを動かすものの、どうにもしっくりこないようだ。
「不思議な顔か。サラはどんな風に思う顔? ばらばらで良いよ、思いつくことを言ってごらん」
「えっとね」
 サラは、屈みこんだレイの顔を凝視し、考える。
「びっくりしたような顔。わたしの手がすごくへんっていうんじゃなくて、でも手を見て、なにか思い出してるの」
 レイも相槌を打った。
「それから、ふわってやらかくなる。思い出したものにざわざわするのが、なくなるみたい。でも笑うほどじゃない。たぶん、こわくないってほっとしてるの、だけど。思い出したまま」
 そこで言葉がつっかえた。自分で言っていることがわからなくなってきたようだった。
 レイは困惑するサラの頭をそっと撫ぜてやった。
「すごいね……サラ。きみの言うとおりだ。きみはよく見ている」
「うん、だってレイもわたしを見ているもの! わたし、レイを見るのは怖くないの」
 サラの顔が綻びる。見ている方がつられてしまうような純粋な笑みに、レイもそっと口の端をあげた。
「私はね。昔そうやって、サラがするように手を振られて、嫌な思いをしたことがあったんだ」
「嫌な、思い?」
「そうだよ。サラも私が帰る時に手を振ってくれるけど、同じ動作だとは思えないくらい、あの手を見るのは辛かった」
「……手を振ると辛いの?」
「今は違うよ」
 途端に悲しそうな顔をするサラに、安心させるように語りかける。
「サラのおかげだよ。サラが、手を振るのは怖くないことを教えてくれたんだよ」
 それを聞いて、またみるみるうちに嬉しそうな顔をする。

 サラがすることは、すべてが本当のことだった。サラの動作には、疑うということを忘れてしまうような、丸ごと信じてしまうような力があった。愚直なまでに素直で、隠したり偽ることを知らない、小さな子どものような。
 すっかり疑り深くなってしまっていたレイを、その憑き物をあっという間に落としたのはサラだ。異様な力を持っていながら、それについて自分は何一つ知らずにただ生きているサラの姿を見て、レイはかつてのように研究に、魔道にのめり込むことを是としてしまった。もう二度と手を触れないだろうと思っていた、それこそこちらから手を振ってバイバイと言った、魔道に。
 こんなに無辜に生き、こちらの心を暖かくする少女のひとりさえも救えないなんておかしいと、思ってしまったのだ。

「またきてね、レイ!」
 レイを送るために振られるサラの手は、いつもより楽しそうに動いていた。
「もちろん。またすぐ来るけど、もしそれまでに何かあったら……連絡の方法はわかってるね?」
「うん、大丈夫だよ!」
 少女が、振っていた手のひらを突き出すように見せる。肌色になじむ見えにくいインクでかかれた魔法陣。形が少しも損なわれていないことを確認し、レイも満足そうにサラに手を振りかえした。

 外に出ると、途端に建物のまとう魔法のノイズが耳につく。綻びを刺激しないように丁寧にすり抜けてから、レイは海の向こうの本島を一瞥した。
 あの巨大な島から、この小さな島を守る力。かつてもこの手にしたつもりでいて、だけどそれはただの一振りで消えてしまったかりそめだった。今は違う。少女がいくら手を振っても、今の自分はそれに勇気さえ見出してしまえるのだから。
 ふっと笑みを浮かべて、レイは帰路を急いだ。

***


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