5.デコピン


「きみは頭が固すぎるんじゃない?」
 ひとつに束ねた長い髪を揺らして、カリンはさっさと進んでいく。入り組んだ建物の間を縫うように、どんどんと。縦に長いこの町はいまいち慣れなくて、フレイは後から従うしかなかった。
 カリンとは出会って以来、ずっとそうだ。彼女は常に自分ひとりで行動を決め、フレイを顧みることなく歩む。
「それでいうならカリンは柔軟すぎる!」
 何度となく意見が衝突するけれど、彼女はほとんど聞きもしない。
「あたしは、固いのと柔らかいのだったら柔らかいほうがいいと思うけど」
 ちらっと一瞬振り返り、目線だけがフレイに向く。確信に満ちた目は、これまで揺らいだところをろくに見たことがない。
「だからそういうことじゃない!」
「……もうっフレイ! 何がいやなの? きみが謝るから、あたしは許すって言ってるだけなのに。きみは許されたくないということ?」
 足を止め、痺れを切らしたように言う。藤色の瞳が遠慮なくフレイを睨んでいる。不機嫌なようだった。
 彼女の目はいつも強い。それに、今回分が悪いのはフレイの方だ。フレイは少し語調が弱くなる。
「……悪かったと思ったから、許された気がしないだけだ。カリンはいつも物事に関心が低すぎるから、本当のところどう思っているのか気になった」
「本当のところって。あたしがほんとは怒ってて、でも許したことにしてるって? ほんと疑り深い人だよね、フレイ」
 フレイは返す言葉がない。許されて異を唱えるなんて自分がおかしい。それは分かっているのだ。
 ――だけど、自分が気に食わないからという理由で、カリンを傷つけて。
 自分の行いを思い出すと急速に熱が引いた。あんなことをしておいて、楯突くなんてもってのほかだ。許されて文句をつけるなんてそれこそ気が違っている。
 しゅんとするフレイに、「しょうがないなあ」と言ってカリンが笑う。そうして歩み寄り、いつの間にかフレイのおでこのあたりに左手の指を寄せ――ぴんっとはじいた。

 こつんと音がして刺激が走り、フレイは一瞬目を閉じる。些細な罰は、しかし一点集中で意外に痛かった。
 思わず呆然としてカリンを見る。笑っていた。
「これでおあいこで良いよ。きみだって、別にあたしを傷つけようっていうんじゃなくて、このくらいの気持ちでやってたでしょ?」
「おあいこって……」
 思わず、彼女の右腕に目をやる。いつも何かしら物騒な武器を持っているその手は今だけは手ぶらで、その代わりに使えもしないフレイが持っている。見た目の変化はあまりないが、力が入らないようでぶらんと垂れ下がっている。ひじの辺りだけ、赤くなっていた。フレイが掴んでひねりあげた時のものである。
 ――こんな有り様が指で弾くのとおあいこだと、そんなばかな。
 額を弾いた音が果たしてカリンには聞こえていたかどうか。カリンがしたのはそんな些細なことだ。フレイはカリンの腕を取ったとき、しばらく武器は握れないであろうことを、その腕から鈍い音がしたのを聞いて確認したのに。
「にしても、きみすごいね。武器を取らないって言うからほんとにあいつらにされるがままにいる気なのかと思ってた」
「そういうわけじゃない。俺だってあいつらは憎い。……だから、カリンに悪いことをしたと思っているんだ」
 まっすぐに見つめる藤色の目に、己もそれを返す勇気さえない。
 ひとつやりたいことをやる意思など、言うまでもなく。そんなものがあったのならば、たぶんカリンと同じことをしていたのだ。自分たちを蔑む目に、それ以上の軽蔑と憎悪を満たした目で見返して、カリンが武器を振りかざしたように、自分も。武器などなくともいくらでも方法はあるのだ。関節を折る。目をつぶす。急所を抉る。
 カリンの行動は、もしかしたら自分がとっていたかもしれなかったそれだった。それをわかっているからこそ、カリンをとめた自分を許せないのだ。結局どんな行動をとっても後悔してばかりの自分。
 そして、何をしても、肯定し許容するカリン。
 なぜともにいることを選んだのかわからなくなるのは、こうして圧倒的な違いを感じるときだ。
「……難しいこと考えてるでしょ」
 表情を曇らせているフレイに、カリンが朗らかに笑いかける。フレイは、渦巻く黒い感情を「難しいこと」の一言に付されてしまい、思わず非難めいた眼差しを向けた。
「要するにさ、あたしがフレイを許すのはね、あたしも悪かったなあって思ってるからなんだから。気にしなくていいんだよ」
 フレイは目を丸くする。
「復讐なんてだめなんだって、フレイはいつもそう言うから。憎くても同じことは返してはだめなんだって。あたしは……これまでそんな風に言われたことなかったから。フレイに会ってから、少しだけ」
 次の言葉まで、一瞬の間が空いた。
「悪いことをしているのかもって思うようになったからだよ。だからこの痛みは、あたしがやったことにふさわしいきみの怒り」
 だから、あたしはきみを許すの。
 まっすぐな藤色の瞳。優しく、凛々しくて。
 それはあっという間に翻り、また街を縫って歩んでいく。
 彼女の名残だとでも言うかのように、額に感じる疼きにもならない感覚が、フレイを満たした。
 そうしてまたフレイは、彼女とともにいる、言葉に出来ない理由をそこから感じるのである。

***


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