7.手をつなぐ


 ひどく凪いだ場所だった。呼吸さえひそめたくなるような。
 あらゆる音を奪いかき消す場所、そして頭の中に砂嵐が起こったように、思考さえ鈍くなる。
「祈るときに手を組むのは、たとえ自らの両の手であっても、手をつなげるということに力があるからだと、聞いた」
 頭痛に顔をゆがめながらもユウが言う。
 呟かなければ、何もかも持っていかれるような気がして、そうせずにはいられなかった。自らの意識をこの場につなぐものは、すでに気力とか意地とか、あるいは気位、なけなしの矜持。
 どれでも良かったしどうでも良かった。第一に特定する余裕はない。
 とにかく、まだ目が見えている。周囲に不自然なほど音がないとはいえ、自分の声は聞こえたのだから耳は機能しているし口も動いたということだ。息絶えたかもしれない者もいる中で、こうしてここに立っていられるだけで幸運だった。

 しゃべれなくなる前に、手が伸ばせなくなる前に――。
 ユウは声を張る。

「だから手を取れ、フロティナ! 死んではだめだ!」
 目に映るのは流れる緑の髪。あふれる力の象徴であるそれは、風もないというのにひとりでに揺れている。ただじっとそこに屹立したままのフロティナは、ひたすらに固まって動かない。魔力を解放するその手を、ユウに向けて固定したまま。
 フロティナの瞳が、弱々しく恐怖に揺れていた。怯懦する表情が彼女に似つかわしくないと、ユウは思う。
 あの目が見たい。これまでどれほど、あの目に動かされてきたことか。ユウはフロティナの目が与えてきた力を知っている。だから、あの心を奮い立たせる瞳が見たい。取り戻さなければならない。
 ユウはもう一度叫んだ。
「フロティナ!」
 先ほどは答えなかったフロティナが、今度は反射的に叫ぶ。
「……死んでしまうのはユウの方だよ! もう近づいちゃだめ、どうしてなの!」
「いいから! 手を出せ!」
 一歩踏み出せば、フロティナは体を一度大きく震わせて、しかし足は動かさなかった。歩くたびに魔力の波動が身を削り、食らってゆく。捻じれて軋むような音がしたが、何が立てている音なのかわからない。
 その手をとれる距離まで近づいたとき、フロティナは無意識に手を引いた。その瞬間体を蝕む魔力の渦も消えた。
 静寂も消える。
 空間が瓦解する音が、遠くから響きだす。怯えたようにフロティナが口を開く。
「あ……!」
「フロティナ!」
 その手をつかむと同時に、ユウはまじないを唱えはじめる。間に合う気はしなかったが、それでも。
 精霊の踊る一重の光が周囲に漂い始めた。
 とられた手からユウの顔へ、フロティナの視線が呆然と移動するまでには、二重に。
 フロティナがやがて表情を引き締め、自らも精霊を呼び寄せ始めた頃には八重ほどに。
 空間を切り裂いて崩れていく闇色の魔力が目の前まで迫ったとき、フロティナが精霊の名を叫んだ。


 いつかはあの空に、天の指標が降りるだろう。
 それは空をふたつに切り裂いてしまうような光景だけど、恐れなくて良い。

 何故って……そうだな。こう考えてはどうかな。空にしろ、ひとつではいけないということだと。
 ひとつであるということはとても怖いことだから。
 ふたつに分かれ、互いの存在を確かめながら生きるということはとても幸福なことなんだよ。

 祈りは偉大なことだ。
 こうやってふたつの手をひとつに組むと、それだけで人は少し救われる。
 これから先そうやって手を取る人をきっと見つけなさい……ユウ。


 久しく砂嵐が凪いだ頭の中に、懐かしい声がよみがえった。
 もうはっきりとは思い出せない、輪郭のぼやけた声なのに、以前と変わらず温かな慈愛に満ちていて体中に沁みていく。薄れた意識の中で、ただただ涙が出そうになった。
「ユウ、ユウ……!」
 耳に入る、よりはっきりとした声。くしゃくしゃに崩れた涙声で、自分の名前を呼んでいた。
「ありがとう、良かった……! 私、ユウの手をとれば何だって出来てしまう気がするわ!」
 もう目を開くのも煩わしいが、その声の心地よさと、手が何かに包まれて、温かいという感覚だけがはっきりとしていた。
 だから眠りに落ちようとする体で何とか、その手を握り返して、意識を手放す直前に思う。

 手を取ることでしか伝わらないものが、ここには確かにある。
 空を裂くような犠牲の後にも残る、幸福の形だった。

***


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