花跡の待ちびと


 エテルは森にいた。
 探し物をしているのだ。
 林冠せめぐ森の地表には、ただぽつりと、ところどころ光の粒が落ちている。見えぬ空を見上げてエテルは呟いた。
「一体いつ、辿りつけるのだ。いつまで、待つのだ」

 ある日、突然ころりと鈴が鳴るような音が聞こえたかと思うと、草がうごめいて足元を結んだ。神威に出会うことも、梢以外の音を聞くこともエテルにとってはあまりに久しいことであった。驚きと、ほのかな喜びに引き寄せられていたエテルの前に、いつのまにか少女が立つ。
「そなた」
 はっとして少女に目をやる。黒目勝ちの目が幼さを宿しているが、表情と佇まいは引き締められており、どこから現れたのかさえ気取らせなかった。こどもとおとなの混ざった、不均衡を感じた。
 わずかに緊張したような表情をしている。顔の高さまで掲げた鈴が下げられる折、またころりと音を立てた。
「わたしはエリス、この地の守りびと。ここはわたしたちの神域」低く抑えられている声も、いとけなさをどこか感じるものであった。「あなたはここで何をしてるの」
「おれは待っているだけだ。見ろ、この不浄の森のありさまを」
「不浄の森?」
「そうだ」エテルは忌々しく思い出す。「あの水害以来、見ることの無かった生き物がのさばっている。そこかしこに宿っていたあやかしも姿を消し、なにより森の中を舞っていた粒たちが失われた」
 少女の視線が「粒たち?」と尋ねている。エテルは懐古の情を、どことなく甘美なものとして感じながら続けた。
「神威の宿った、それは美しい光の粒だ。あの粒たちが森に命を増やしていたはずだったのに。今では命の増え方さえゆがめられている」
 だがやはり、思い出すほどに忌々しさが勝つ。少女への威圧を込めて言う。
「その不浄を焼き払う、『かせき』が現れる日を待っているのだ」
 少女はしばし視線を下げて押し黙った。長くうねった暗い色の髪が、森の影に溶け込む。そのくせまばらな光を受けるとつややかに光る。肌も同じであった。ほとんど暗い色の衣服に覆われていながら、ほっそりとした指先や首筋が、驚くほど白いのだ。
 エテルがしばし観察していると、少女はようやく顔を上げる。髪と同じ暗い色の目がこちらを向いた。
「わかったわ。……では、あなたがエテルね」
 エテルは、驚きと不快を顔に浮かべた。
「なぜ」
「そうでしょう。わたしたちはずっとあなたを知っていたわ、エテル」
 エテルが言葉の意味を問い質すより先に、少女が再び鈴を鳴らした。足元の草がするりと結び目を解いた。
「エテル。わたしについてきて」
 少女の鈴の音が、エテルをいざなう。
 神威など今ではそう目にかかるものではない。神威の宿った鈴を持ち、『かせき』を探す己を知っている。エリスは奇妙な少女だった。わかっていても、抗えぬほどの力を持っていた。

 引き寄せられるままに追従すると、あれだけ彷徨ったはずの森の景色が、見慣れぬものとなってゆく。
「ここもそなたらの神域なのか?」
 少女は答えず、ただ歩んでゆく。景色はどんどんと変わる。
 気付けば枯れ木がまばらに混ざっている。乱雑に木々が入り組み、通れる道はひどく狭くなってきた。
「守りびととは、何をしている」気味の悪さが増して、誰何せずにはいられなかった。「なぜおれを知っている!」
 少女がぴたりと足を止めた。
 振り返って、暗い瞳が覗き込んでくる。
「すべてわかるわ。『かせき』はこの先」
 少女の指差す先に目を凝らすと、梢の絡まりに紛れて小さな通路があった。
「なぜ、みちびく」
「わかるわ」
 情の無い言い方だが、覗き込んだままの瞳に険は無かった。

 梢や蔦を潜り抜けて進むと、塗り込めたような艶の無い空間が現れた。後ろについてきた少女が言う。
「『かせき』は、ここよ」
「これはなんだ」
「ここに火を放てば……確かにすべてを焼き尽くすことが出来る。でもわたしたちは、この森を失ってしまう」
 振り向くと、暗い瞳が惑うように揺れていた。
「だからあなたがひとりでここに辿りつかぬよう、わたしたちに残された最後の神威で、ひた隠しにしてた」
 色も光も少ない、まるで死んでいるような空間だった。
 そこにあるのは枯れ果て、裂かれて傾きながらも立ったままの、木の群れであった。根は土と草に埋もれて見えない。
「よく見て。これは石よ。そして、ひとたび火を放てばよく燃える。あなたの求めた浄化の炎――かせきは、これよ」
 少女が木に近づき、エテルに見せる。
 よく見れば、割れた木の境目にきらきらと輝くものが見える。確かに硬質な、石のようなものに感じられた。木のひびの中からほのめく色はさまざまであった。青や緑の輝きが、エテルを惹きこむ。
 よく周りを見回せば、木のように思ったものは一帯、すべて石で作られていた。
 白も、赤も、鈍から鮮まで多様な色が存在した。
 その全ては遠き日から時を止めていることが明らかであった。
「とても遠い昔、森が大津波に襲われて死んだ。気が遠くなるほど昔のこと、と聞いてるわ。それこそ……」
 少女は鈴を握りしめる。
「神威がこの世にあふれていたような、はるかな神の時代のことと」
 エテルは言葉を返せなかった。
 自分は、いつから彷徨っていた? いつから、どのくらい彷徨い続けているのか、わからなくなっていた?
「わたしの一族は、森で彷徨う存在のことを、ずっと伝え続けてきた。そのひとは、ひとの身を無くし思念だけの存在となっても、ずっと彷徨い続けている」
 エテルはそのとき思い知った。
 自分は太古に死に、死にきれず、森に彷徨い、ついには迷い果てていたのだ。木が石になるほどの永き時間、行き場を無くしていたのだ。
「思念だけのあなたを探せるような神威を、もうわたしたちは持っていなかった」
 少女が、悲しさを声に宿らせる。
「永く彷徨わせて、ごめんなさい」
「そなたは……おれを探しだして、この『かせき』を見せる、それが役割だったのか」
「いいえ」
 少女は白皙の指先を衣服に隠したと思ったら、何かを取り出した。掌の上にとてもちいさく、一粒の石が乗っている。
「この『はなあと』を、さまよえる方に見せるのがわたしの役割」
 エテルは、目の色を変えた。
「『はなあと』……だと?」
「ええ」少女はただ手を差し出す。「見て」
 ちいさな石を凝視すると、細やかな模様が見える。
 記憶の底をちりちりと焦がす火種が生まれた。途端に、消えた記憶がいぶり出される。
「……これは」
 知っている模様だ。花だった。太古の昔の森で、見えぬほどちいさく咲いていた花々が閉じ込められているのだった。
 自分が守っていた花だ。
 木と胞子しかなかった古の森ではじめて生まれた、花と言うものを根付かせるのが自分の役割だった。ちいさすぎて途端に胞子に食らい尽くされそうな存在だが、きっと森を豊かにするものだと信じていた。だから、それを守ることを自分の使命としたのだ。
 そうだ。これは。
「あなたが探していたものよ」
 少女の瞳は、悲しげに歪められながらも真っ直ぐであった。

 青年の思念が消え去り静まり返った森で、エリスは呟く。
「さようなら」
 彷徨っていた存在は生命の円環のもとへ去った。弔いの火はいらなかった。
 エリスは真っ直ぐに森を見た。
 夏の日さえも柔らかに細められ、土を点々と照らす。ひんやりとした湿り気が依然残る森には、されど神威のありかは見当たらない。
 神威の消えた森で、化石だけが残っている。
 守りびとであった少女は、今ではひとかけらの神威さえ持たぬ、ただのひとの身となった、はずであった。
 だが青年の表情が、エリスに乗り移ったように張り付いている。
 青年は消え去る瞬間、胸が締め付けられるような、悲しくも甘い目をエリスに向けたのだ。
 その目が、エリスを待ちびとにしようとする。かの人が生命の円環を泳いでまた森へ降り注ぐ――そんな時を夢想し彷徨う、甘くも昏い永遠の時間へのいざないであった。
 幼い森の番人として生きてきたエリスは、張り付いたものの正体を捉えられなかった。
 張り付いたものは、エリスにとって、はじめて感じるものだ。一体、これは? この気持ちの名は?
「どうして、悲しい……のかしら、わたしまで。すべてを終えたはずなのに……」
 惑いを吐き出すその声も、すぐに森の空気に溶けていった。

***

「ウォンバットマガジン」(http://wonmaga.jp/)さんの企画「ウォンマガ夏フェス2015」に参加した作品の転載です。
企画ページに載っているものには素敵なイラストもつけていただいてます! エリス超かわいいのでぜひ見てください。


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